自分らしい人生を歩むために。 諦めと悟りを背負って旅は続く 【自己否定の考察 第3回】 | 内向型人間の知恵ブログ

自分らしい人生を歩むために。 諦めと悟りを背負って旅は続く 【自己否定の考察 第3回】

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自己否定の解決について考察するシリーズの第3回です。

第2回では、「自己否定の生きづらさから抜け出すためにできること」と題して、「自己否定をやめる」ために有効なアプローチを「自己肯定に結びつける」ことに活かすことを目指しました。

▼第2回をまだ読んでいない方はこのリンクからどうぞ。
欠点があっていい。社会を回す人から学んだ「心の余裕」 【自己否定の考察 第2回】

▼第1回のリンクはこちらです。
自己肯定感が育たない原因は?社会が見過ごす生きづらさの正体 【自己否定の考察 第1回】

第3回では、私が憧れる自己肯定感の高い人の生き方に注目して、この社会で生き抜く方法を学びます。
自己肯定感が高ければどんなことができるのか。
それはどんな振る舞いなのかを言語化しつつ、そこに近づくためには何が必要なのかを考察します。

1.自己肯定感が高い人の「人間らしい」生き方

このシリーズの始めに「自己肯定感の高い人は、自己否定感よりも自己肯定感が上回っている人」だと定義しました。
「自信がない」と謙虚でありつつも結婚や就職ができていて、自分を売り込むことができて、自己主張や自己表現ができて、「消えたい」とか「死にたい」と思っていない人のことです。

そのように自己肯定感が高い人の特徴には、以下のようなものが挙げられます。

  • 何をして、どのように生きるのか。自分の人生を決められる
  • 学ぶのが早い。試すのが早い。結果を出すのも早い
  • 欲求や衝動に正直。言いたいことを言い、食べたいものを食べ、行きたいところに行く
  • 自分自身や他人の容姿に厳しくない。個性を認める

今となっては、目に映る人はみんな自己肯定感が高い人に見えます。
例えば、リスクや失敗への怖れよりも「やりたい」という気持ちが勝っている人。
言葉が通じなくても海外に行ける人や起業・経営ができる人、恋愛・結婚できる人がそう見えます。

また、他人の評価を恐れず、ありのままの自己主張・自己表現ができる人がいます。
例えば、Youtuberのような動画投稿者やゲーム配信者、テレビのコメンテーターやタレント、そしてAVセクシー女優。
よく笑っているゲーム配信者を見ると、「人生楽しいんだろうな」と思う。

自己肯定感が高い人の特徴を一言でまとめると、「自分の人生を決められる」ことだと言えます。
「他人の目」に振り回されないことは本当に重要であり、親や世間の価値観に反しようと、「自分のやりたいことをやる」ことは自分らしく生きるために必要なことです。

自己否定の概念を知った2024年、私は動画配信サイトTwitchでとある配信を観ていて、とんでもないショックを受けたことがあります。
週末のその配信が終わるとき、配信者はこう言いました。
「今週も楽しかった」と。

それを聴いたとき、頭がカチ割られたような感覚になったことを忘れられません
それまで生きてきて、「ある日やある週を楽しかったと思ったことがない」ことに気づかされました。
こんな風に、自分のやりたいことをやって生きたかった。

2.自己肯定感が高い人から「戦い方」を学ぶ

挿絵:作業する料理人

自信がなかったり引っ込み思案の人は、他者との争いや衝突をさけようとする傾向があります。
それは「自分が傷つかないため」でもあり、「相手を不快にさせないため」でもありますが、それは必ずしも正しいとは言えない行為です。

遠慮したり黙っていることが、逆に相手を怒らせたり調子づかせる場合があることを知ってください

人間が生きている中で「他者との価値観の衝突」は必ず起こります
堂々としてください。
何かを発表するときに「下手ですけど」なんて予防線は張らなくていいんです。
もし、飲食店のオーナーが「自信ないですけど」なんて言って料理を出してきたら嫌ですよね。
(という喩えをネットで見かけて、その通りだと思った)

自分を卑下しないでください。
自分が悪いと決めつけないで。
自分の考えとその根拠をしっかり持っていることは、とても大事なことです。

そして、同じ人類の見た目をしていても、内面にある価値観や思慮深さは千差万別です。
働けない人を見下してストレスのはけ口にするような人は、少子高齢化や人手不足なんてどうでもいいんです。
言いたいことを言い、やりたいことをやる。
社会にルールはあっても、生き方にルールはありません

歩きスマホ、飲酒運転をする人がいる。セクハラ・パワハラをする人がいる。
「それが他人にどう思われるか」なんて怯えてない。そういう人が当たり前にいる。
これこそが人間社会の現実と限界。弱肉強食の世界です。
そこで生き抜かないといけない。

「人間社会という名の動物園」で生き抜くには、自己肯定感は必須の武器なんです。

「誰もが共存を望んでいるのは当たり前」と思うかもしれませんが、世の中には非常識な”話が通じない人間”が存在します。
これを実感したのがSNSのTwitter/Xでした。
信念がコロコロと変わり、「明確な過ちを犯したのに絶対に謝らないという自己愛の強い人間」を何度も見ました。

自己愛の強い人は、一見すると行動力があるので自己肯定感が高い人のように見えます。
しかしその本質は自己中心的であり、「道徳的に間違っていても非を認めない」という不健全な・過剰な自己肯定だと言えます。

3.ここではないどこかへ進み続ける

挿絵:山頂から見る日の出

実は、2023年の末から落ち込んでいた頃――2024年の2月に自己肯定感に溢れた経験をしました。
自己否定がまったくなく、他人の目がまったく怖くない。
とても活力に満ちていて、「あぁ、これが自己肯定感の高い人が見ている世界なのか」と思いました。

”頭の中の否定的な他人の価値観を黙らせたとき”から始まり、それは3日ほど続きました。
今思えば、あれが躁(そう)状態だったのでしょう。
うつ病はその症状に「躁鬱(そううつ)」というものがあり、”どん底”のうつ状態と、その真逆の”ハイ”な躁状態が行ったり来たりすることがあります。

もしかしたら、自己肯定感が高くて”精神的に健康な人”も、脳内で起こっていることは躁状態と同じなのだろうか。
あの景色が俺の目指すゴールかもしれない。
だとしたら、あの景色をもう一度手に入れたい

「自分と違って自己肯定感が高い人」の生き様と社会を見ていると、「完璧でなくても生きていけるんだな」と羨ましくなります。
自己否定の原因や苦しみは社会には理解されておらず、似ている生きづらさもまた、解決するには当人の頑張りに委ねられてるところが大きいのが現状ですから。

私は何かを達成したり手に入れたいと思ったとき、石橋を気が済むまで叩き、失敗を回避するために考えるタイプです。
しかし皮肉なことに、「動けない悩みは、行動することでしか解決しない」という事実があります。
下手でも、恥ずかしくても、やり続けなくては上達しませんし結果も出せません。

自己否定のやめ方や自己肯定感の高い人との違いを知っても、最初の一歩を踏み出すことはまた別の話かもしれません。
それでもこの社会で自分らしい人生を歩むためには、他人にどう映るかを心配しすぎてもいけない。

今、自分が立ち尽くしているつまらない場所、あるいは苦しい場所から離れて、どの方角でもいいから”ここでないどこか”に向かいさえすれば、違った景色が見えてくる
そう思えば、進み続ける意味を見いだせます。

3.1. 励ましてくれた曲

2025年に入っても自己否定や劣等感に苛まれている自分ですが、そこから気力を取り戻してこの記事を書けるようになれたのは、励みになった曲の存在があります。

励みになった歌はいくつかありますが、「どんなことでもやってみる価値はある」と意識するようになったUver Worldの「Praying Run」を推したい。
漫画「アイシールド21」を題材に作成されたMAD動画は、歌詞が今の自分に刺さり、映像のクオリティも高くてお気に入りです。
動画では歌の一部が使われていますが、是非フル版の歌詞も読んでほしい。
Uver Worldなら他には「Fight for Liverty」がオススメ。

【静止画MAD】ヘイルデビルラン【アイシールド21】 – YouTube

また、Super Beaverの「予感」。これも本当に歌詞が刺さります。
「らしさ」や「ヒカリ」も。
単純に好きなら「美しい日」や「嬉しい涙」も好きです。

SUPER BEAVER「予感」MV – YouTube

まとめ

この記事では、まず「自分の人生を自分で決められる人」の例を提示して、彼らの振る舞いと自己否定をしている場合の価値観の違いを考察しました。

彼らのようにいきなり自信満々に振る舞うことは難しいでしょう。
しかし、自信がなくても、遠慮や予防線でチャンスを逃すネガティブな行動をやめてみるような、小さな変化は起こすことができます。
不完全であることを受け入れて前に進もうとする意思は、それはすでに自己肯定感の高い人が持つものと同じです

動けない悩みは、行動することでしか解決しません。
もし、この不条理な社会でも進み続けることに納得できたのなら、その先には「自分らしい人生を歩む」というゴールが見えることでしょう。

何度も何度も挫折しつつ、約2年もの間ずっと抱えてきた自己否定に関する考察を完成させる私の旅は、ひとまずここで終わりです。

ここからは、一つの結論を出した後の、私個人の独りよがりな本音です。
もしよろしければ、最後にお付き合いください……。

あとがき:諦めと悟り

挿絵:砂の上の足跡

人間の人生が儚いものだと悟って以来、虚しく感じることが多くなりました。
自分という一人の人間は大きな流れの中にあるちっぽけな存在で、街並みや、そこに生きる人の営みを見てもそれがハリボテのような、存在してもしなくても変わらない程度のものに感じてしまう。

他所のブログのように”治し方”をタイトルに据えるような内容になれば良かったのですが、私には安全で安心できる環境がなく、「自己否定をせざるを得ない根拠」がつきまとう内は弱気にもなります。
正直、今はまだ治せる気がしません。

衝動のままに生きて、他人の目にも怯えず、社会に適応している自分の姿が想像できないからです。
これこそ自己否定のせいだと思うんですけどね。

率直な気持ちは、残りの寿命で「人生の飢えと渇き」が満たされることはないと思ってる。
「人生100年時代」なんて言うけれど、30代までに「生きてて良かった」と思える経験をしなけりゃ、その先を生きようとは思わない。

20代と30代の半分をドブに捨て、介護に片足を突っ込んで、親や社会の価値観に囚われたままで、下り坂の人生を過ごすなんて生きている意味がない。
某保険会社のCMは「20代は楽しいことがいっぱい」、「30代も素晴らしいよね」と言った。
でもそんなものは無かった。
10代・20代の恋愛や結婚はもう叶わず、強化された劣等感を抱えたまま、死んでいく想像しかできない。
こんにちは、少子高齢化社会。

世の中が”人手不足”なんて言ったって、企業がほしいのは即戦力()の若者で、使い物にならない自分は求められていないとわかってる。
社会のレールに乗れなければ人生は終わり。希望なんて無い。
だから、不幸な人を減らしたくて、生きている内に社会が語らない”自己否定感”について書き残すと決めた

今はとにかく、彼らのように楽しい時間を過ごしたいと思う。
一時的な楽しさでは意味がない。満たされない。砂漠に水を一滴垂らすようなもの。
「楽しさ」という水一滴はたしかに存在するが、乾いた砂(不安・不満)の上では跡形も残らない。

自己否定の概念を14年前に知ることができていれば、誰かが教えてくれていれば、もっと自分らしく生きることも、やりたいことを収入につなげることもできたかもしれないのに。
収益をアピールするブロガーのように記事を書く量も、記事を書く速さも手に入れていたかもしれない。
開き直って動画編集やゲーム配信をしていたほうが絶対に収入は多かった。悔しい。

逆に、この状態から自信がつくなんてどんなことを成し遂げたら起こりうるんだろう。まったく想像できない。
死ぬまでこんな惨めな性格と人生なんじゃないかと思う。

だけど、努力をやめられない自分がいる。

結局、孤独に戦い続けるしかないんだろう。

突き進むしかない。
進み続けろ。
自己否定なんてしなくていい。やってみなけりゃわからない。
他人の批判なんて蹴っ飛ばせ。やってわからせろ。
自分こそが人生を決める権利がある

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アイキャッチ:Photo by Kaique Rocha on StockSnap
挿絵1:Photo by Nick Karvounis on StockSnap
挿絵2:Photo by Jordan McQueen on StockSnap
挿絵3:Photo by Bernard Spragg on StockSnap