【ミニコラム #7】ネガティブなプロフィールを書いてしまう心理

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「下手ですけど」「上手くないですが」
こういった言葉とともに置かれた作品を、貴方は見たいと思いますか?
これからする話は、こういった予防線と似ています。

TwitterのようなSNSのプロフィールは、見てくれる不特定多数の人に自分を知ってもらう重要な情報です。
多くは趣味や実績が書かれており、中には無言の人もいるなど、その内容は様々です。

現実での自己紹介とは異なり、相手を知るため・相手に知ってもらうために、伝える情報は濃くなりがちです。
(現実じゃあ無難な「読書」とか、「音楽鑑賞」よりも!)

「発信する=見てもらいたい」という欲求は必ずと言っていいほど存在します。
読者やフォロワーを獲得するには、ネガティブなプロフィールは邪魔でしかありません。

そのような理屈がわかっていながら、どうして「ネガティブなプロフィールを書いてしまう」のか。その理由を経験から文章に起こしてみました。

ポジティブなプロフィールで相手を期待させたくない

「相手を期待させたくない」とは、どういうことだと思いますか?

現実でもインターネットでも、他者と関われる価値観や振る舞いができる社交的な人がいます。
多くの人がそうです。

彼ら(もしかしたら貴方も)は、私のように高いハードルを置いていません。
自分がどう思われるかとか、拒絶されることを深刻に考えない強さがあります。

興味・関心があれば声をかけられます。
挨拶をします。
質問や、意見を交わすこともあるでしょう。

言葉が通じるなら、相手は応えてくれる。
それが当たり前だと思っています。

これは、減点方式の考えだと言えます。
「良いところがあるから良い人」ではなく、「悪いところがないから良い人」という理屈です。

つまり、ポジティブな(ネガティブでない)プロフィールは、相手が近づくことを許してしまいます。

つながりを重視するSNSのようなネットワークとは矛盾する姿勢だと思うでしょうか。

ですが、仮に誰かとプロフィールを見る以上のやり取りがあったときに、私自身の価値観や振る舞いに触れたときに、幻滅してほしくないのです。
騙しているようで自罰的になってしまうし、根本的にネガティブな価値観は変わっていないのだから、そういった面が人前に出ることもあります。
それが原因で拒絶される(フォローが外される)ことが怖いし、「そんな人だと思わなかった」的な想像に駆られるのもつらい。

ポジティブなプロフィールを前面に出していても、根が卑屈な特徴であることは変わらない事実です。

「相手を期待させたくない」というのは、「自分が傷つきたくない」という願望の裏返しなのです。

正直な自分をさらすことで相手を試す

自分自身を守ろうとする心理的な要素は、他にもあります。

例えばアダルトチルドレンのような、「条件付きの愛情」を与えられた人。
親や教師のような立場が上の人間に対して、あるいは友人に対して……顔色を伺ったり、へりくだることは、精神的に未成熟だと珍しいことではありません。

親に見捨てられないように、ウソをつかず、正直であろうとします。
これ以上傷つかないために、先に自分のことをさらして、そんな自分でも受け入れてくれる人かどうかを試そうします。
(これを「テスティング」という。≒テイスティング)

ネガティブなプロフィールを用意することで、「それを乗り越えた人なら安心できる」という心理です。

さいごに

こうして語ったように、私は自分自身のネガティブな心理の表れについて理解しています。
その一方で、「下手ですけど」と予防線を張られた作品は「もったいない」と思ってしまいます。観る気が失せてしまいます。
きっと、それが普通の感覚なのでしょう。

社会の世渡りなんてもっとエグいんだから、勘違いさせるくらいでちょうどいいのかもしれない。
適度に正直で、興味をもたせりゃこっちの勝ち。
それでもダメならサヨウナラ。

無言なプロフィールにも憧れる。
絵を描いてる身からすると、「多くを語らなくても、創作物が認められる」のはうらやましい実力だ。

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