(44) 成功のためのアウトプットを邪魔する完璧主義

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溜まってたネタ。

先日(2週間前)、ゲーム「星のカービィ」シリーズやスマブラの生みの親で知られるゲームクリエイターの桜井政博氏の動画を観て自分に刺さった話があったので、それについて。

自らを鍛えるのは、あるいは成功に近づくのは圧倒的に手数。

アウトプット少なくして成功なし。

とにかくやれ!! 【仕事の姿勢】 – YouTube

ホントね、自分が完璧主義をこじらせているのがつらい。
イラストだけでなく創作・制作全般に言えることだけど、どんな不出来なものでも完成させないと糧・財産にならない。

「下手な絵を公開するのは誰の幸せにもならない」と思って修正を繰り返して燃え尽きる・挫折する経験をしてきたから、練習をしても絵は下手なまま。
そんな自分より、下手でも「好きで、描いて、公開する」サイクルが出来る人の方が人を幸せにするし、早く上達する。
本人もきっと楽しいだろう。
認知される確率が上がれば仲のいい人もできるだろうし、人脈が広がれば得られるものもある。

動画を観て、よりアウトプットの必要性を自分に迫っているのだが、素直に実践できないのが心の病。

何って、手を動かしても完成しない。
一昨日は描く日だと決めて8時間は費やした。
でも修正ばかりで、清書のための下書きの確定すらできなかった。
目が肥えていて違和感に気づき、それを修正せずに完成なんてとてもじゃないが許せなかった。

自罰的でもあるが、根幹には不安がある。
「他人から認められたい・居場所がほしい・そうでなければ自分には価値がない」という呪いがある。
だから、減点を抑えるために努力してしまう。アウトプットができない。

今までもこういう経験をして、それで挫折したり、自分は無力であると感じてきた。
(白黒思考。「出来る」と胸を張って言えるものがない=「自分は何も出来ない」。ゼロ。)

アウトプットが糧になるのも時間がかかる。
例えば、Pixivに10年投稿し続けている人に俺が追いつくことは絶対にない。
俺がもし10年頑張ったとして、その人は同じように10年先にいる。

もっと若く、早い時期から手を出していれば今頃幸せだったのではないかと後悔することもある。
過去の自分と比較をすればいいだけなのに、不安・精神的な飢えのせいで高いハードルを要求し、越えられず、また落ち込む。

思えば、「描きたいネタを絵にする」と描き始めたときから趣味ではなく義務感や使命感だった。

描くのが楽しい人が羨ましい。
プロ集団も、精神的に健康で、だから制作現場で通用するんだろう。

辞めたら何も得られないから、練習と制作を続けている。
俺にはもう自分を正常にする方法が分からない。