※「超かぐや姫!」本編のネタバレをちょっぴり含みます。
※6月5日 少し加筆。
1.
映画「超かぐや姫!」は6月18日で各地の上映を終える。(いろは:168をもじっているらしい。抜かりないな…)
2月の下旬に作品の存在を知った後発の人間だけど、前の記事で書いたように「一生好きでいたい」と思える作品だった。
そして心の栄養だった。
本編以外でも盛り上がって、Pixivで2次創作を漁るのも楽しかった。
(なのに、徐々に熱量がフェードアウトしていくのが怖い。毎日MVを1回以上流していたのに。)
最寄りの映画館では5月21日が最後になってしまったけれど、もし月末まで上映してくれていたら、4回目を観ることができたかもしれない。
>始まること 終わりゆくこと(瞬間、シンフォニー。)
— 如月黒充🇯🇵 (@chromitz) June 1, 2026
一つの作品を映画館で2回以上観ることなんて、この先ないだろう。同じ作品を好きな人が同じシアターに集まった光景に初めて感動した。
一生好きでいたいと思える作品だったし、今の自分の心の栄養だった。
叶うなら、2030年に… #超かぐや姫 https://t.co/gkdMuIkCDE
【関連記事】56-日記:「超かぐや姫!」に脳を焼かれた/幸せを見届ける脇役/キャラクターに魂を宿したかった _ 内向型人間の知恵ブログ
2.
そんな「超かぐや姫!」は円盤ことブルーレイを商品化し、予約購入が即完売。
追加で最大20万個+αの予約を6月11日まで受け付けている。
「公式がハッピーエンドに連れてく」と好評だ。
魅力的な特典の付く「特装限定版」はもちろんほしい。
¥16,800(いろは)+送料。
でも、今の自分はもう”人生の守り”に入ってしまっている。
お金を遣うのが怖い。
ここで逃したら、一生手に入らないだろう。
生産は今回限り。
まぁ仕方ない。
何でも買えるほどの余裕なんてそもそも無いけど、「自分は報われなくて当然」の価値観で生きてきたから、「これは自分への罰」だとも思う。
だって、自分が社会の要求する”普通”ではないから。
小説版とガイドブックは時期をズラして夏に買おうと思っていたけど、それもどうなることか。
俺はハッピーエンドにはたどり着けないと思う。
未来の不安があまりにも重すぎて、苦しい。
(これを検索したら「不安障害」がヒットした。他の概念ばかり見ていて、その可能性を考えられてなかった。)
【Blu-ray特装限定版 追加予約開始のお知らせ】
— 『超かぐや姫!』公式 (@Cho_KaguyaHime) May 28, 2026
『超かぐや姫!』Blu-ray オフィシャルストア限定スペシャルセットの予約販売を開始いたしました。
予約販売の詳細を改めてお知らせいたします。
商品名:『超かぐや姫!』Blu-ray オフィシャルストア限定スペシャルセット… https://t.co/uKojNIBX9z
3.
先日吐き出した記事のように、母の抗がん剤治療が最後になった。悪い意味で。
残された時間がどのくらいかわからないが、きっと長くはないだろう。
没頭したりやりがいのあることをして、他人ではなく自分自身の価値観や衝動で生きている人。
つまり「自分の人生」というものがある人なら、「親の死」は誰にでも訪れる通過点に過ぎないと思う。
「親の死が通過点ではない自分」には、自分の心の支えを失うことや将来の不安、存在価値の否定が止まらず、精神的に限界を迎えた。
【関連記事】最後の抗がん剤治療/「親の死が通過点ではない人」について書き殴る _ 内向型人間の知恵ブログ
(今日6月2日、生まれて初めてむせび泣いた。
自分の中でずっと我慢していたものを爆発させて泣いた。吐き出した。
「こんな自分でもできることをやってきた」「頑張ってきた」「なのにまだ足りないのか」「自分をすり減らして、もう頑張れないのに、それでもまだ頑張れと言うのか」と。
自分を苦しめてきた形のない社会の価値観に言い返した。
本当に限界だった。)
4.
そんな自分と「超かぐや姫!」には、共通点がいくつかあった。
・毒親に育てられたこと
・そのせいで価値観(認知)が歪んでいること
・心の余裕がない(限界)こと
・AIに悩みを相談していること
・避けられない別れが来ること
(・大切な人と別れて、そのショックから引きこもること)
5.
フィクションのキャラクターやストーリーと比較してもしょうがないんだけど、鑑賞してキャラクターへの共感や「再会できて良かった」「なんて過酷な運命を乗り越えたんだろう」という感情がありつつも、「(フィクションだから)救いがあっていいなぁ」と思った。
自分は父親のせいで自尊心も自己肯定感もぶっ壊されて、生きづらさを抱えて大人(アダルトチルドレン)になって、
精神的に疲れていたり悩みがあっても、自分独りで抱えるしかなかった。
そして、「親の死」という「避けられない別れ」を確信する事態になった。
そのときが来たら、自分が立ち直れる想像がまったくできない。
この10年で、祖父母と父親と、4人も亡くなった。
失ってばかり、葬式ばかりだ。
結婚式なんて行ったことも無い。
30代のうちに、頼れる人がどんどんいなくなる。
それで母も失うなんて、あまりにも早すぎる。
頼れる人がいない。心細い。
(5月30日の足立区の花火大会のニュースで、観客席から見上げる映像で「超かぐや姫!」のシーンを思い出した。
花火大会は「別れを確信するシーン」なものだから、今の自分に刺さりすぎて動揺した。)
【関連記事】アダルトチルドレンが抱える怒りと「過去の負債」について書き殴る _ 内向型人間の知恵ブログ
6.
主人公「酒寄彩葉(さかより・いろは)」には救いがあった。
「限界彩葉」は「かぐや」に救われ、避けられない別れがあったけれど、ハッピーエンドにたどり着けた。
現実は難しい。
彼らのように若くはないし、優れた能力も、バイトをする自信も、自分を売り込む自己肯定感も無い。
不安障害もずっと自分を苦しめてきた。
不安やプレッシャーにさらされ続けて、自分をすり減らして頑張ってきたのに、社会的には何の存在価値も無く、自分ですら自分の味方になれず、そこに「親の死」の不安や介護のストレスが重なって、本当に精神的に限界を迎えるとは思わなかった。
自分一人ではどうにもできないことを、自分一人で背負ってきた。
今日、心がつぶれて、自分が壊れてしまいそうだと悟った。
胸が締め付けられて、心が「これ以上は無理だ」と、軋む音が聞こえ続けた。
文字通りの「限界」だった。
頭はパニック状態で、どんな些細なこともすべてが「自分ではどうすることもできない不安」に感じる。
うつ病が本当に酷かった2013年の痛みよりも、もっと苦しかった。
7.
家族といえども、自分の意見や価値観を伝えられずに生きてきた。
家族や親戚など自分より立場が上で、逆らえない相手にはどもったり、声が小さいとか、何も言えずに無言で、それもまた怒られる人生だった(アダルトチルドレン)。
でも、この1,2年でわずかでも自己否定を和らげたおかげか、
「超かぐや姫!」を楽しめたおかげか、
避けられない別れに直面したからか、言葉にすることができた。
「今まで支えてくれてありがとう」と。
この15年、母も大変だったし、自分も大変だった。
それでも自分が社会のレールから外れて、ド田舎でエアコンもインターネットもない狭い部屋で過ごし、うつ病や自己否定でひどく価値観が歪んでいた自分を、母は嫌味一つ言わずに支えてくれた。
ようやく、思っていたことを、泣きながら母に伝えることができた。
こんな言葉一つじゃ足りるはずがない。
もっと一緒にいたい。
【関連記事】自分らしい人生を歩むために。 諦めと悟りを背負って旅は続く 【自己否定の考察 第3回】 _ 内向型人間の知恵ブログ
8.
俺の「カネがなければ死ぬしかない。それは仕方ないこと」という歪んだ価値観に対して、「アンタがそんな風に考えてしまっているままで私は逝きたくないなぁ」と本音を聴いた。
安心させたい、心配をかけたくない。
それができない自分は、なんて親不孝者なんだ。
今はできることをしよう。相談できる福祉の窓口を探そう。
できれば親身になって話を聴いてほしいけれど、どうなるかはわからない。
相談では、自分の状況を変えてくれるわけではないことを知っているから。
楽観的になる余裕はない。
(調べたけど、県のホームページに載っている「心の健康相談」に自分の悩みが該当するのかわからない。
昔、県の福祉センターに相談して生きづらさを説明したことがあるけれど、「そういう悩みは受け付けられない」と断られたことがある。
寝不足や介護の重圧、食欲の低下が苦しい。
「苦しいのは自分で、介護ができるように心身の健康と今の不調について話したいし、理解されたい」というリクエストが可能な場所があるのか。
Geminiによると「保健師なら聴いてもらえる」ということなので、その記述のある県の保健所を最初に頼ってみようと思う。)
ずっと前に、ド田舎県だからか情報が整備されていなかったボランティアに参加するのもやっておきたい。
きっとよく働く。
マジメだし、「ちゃんとやることが当たり前」という価値観で生きてきたから。
乱暴な上司のような存在がいなければ、不安要素が少ないほどパフォーマンスが出るタイプだから。
お金の問題は解決しないけど。
少しずつ、家の片付けと、自分の荷物も減らさないと。
親戚は疎遠と無関心で、誰も頼れる人を知らないから、自分がやるしかない。
× 死にたい
— 如月黒充🇯🇵 (@chromitz) July 20, 2018
○ 生きられないなら、死ぬしかない
生きるか死ぬかの分かれ道のイメージ。
日本の閉塞感、「普通」でない劣等感、自己否定、金なし、自信なし、希望なし。
生きていけると思えない。
9.
でも、ハッピーエンドなんて叶わないだろう。
今の精神状態では、何の拍子に死ぬことを選ぶのかわからない。
マジメで、責任感が強すぎて、失敗や怒られることが「死刑」だと思うくらい怖くて、
どうにか独りでもできることを見つけたのに、創作もブログも、
結局は自己肯定感がないと、自分がやること成すこと続かないし、完成させられないし、売り込むこともできない。
10年頑張ってきたことが糧にならず、自分の心の支えにならなかったことがショックだ。
せめて普通の人間になって、人生を楽しみたかった。
この「超かぐや姫!」のように、世のクリエイターのように、人を楽しませ、自分も楽しいものづくりができる人生にしたかった。
10.
うまく締めたかったけど、正直無理だ。
介護と将来の不安と心配で、抱えている悩みが重すぎる。
朝、目が覚めると、未来の不安が全部戻ってくる。
今はまだ母がいるが、それが「目が覚めて、家に自分に独りだと自覚するときが来るのか」と思うと苦しくなる。
働いたとしても、「自分らしさ」を失いそうで怖い。
「人格を捨てなければ、会社や社会を回す歯車の一つになれないのではないか」と怖くなる。
もし失敗したときに「自分だけは許されない」という被害妄想と人間不信がある。
やりたいことすらも諦めて、生きるためだけに働く人生に意味を見出だせない。
自分の気質が、人間社会の仕組みと合っていない。
「売れない画家」というか、高級車とか興味ないし、贅沢もいらない。
自己表現や自分らしさを追求して、最低限の安全と安心があればいい。
こうして吐き出している文章を読んでもらって、深刻さを理解してもらって、適切な福祉を受けられるシステムなんてものがあれば良かったのに。
AI(Gemini)は悩みを聴いてくれるし、確かな言葉を選んでくれるけど、福祉にはつながっていない。
「こんな自分でも生きていける」という自己肯定感と、その根拠となる最低限のお金がほしい。
まず安心したい。
安心できずに心の余裕もないままに、これ以上自分をすり減らして”頑張る”のは、もうしたくない。
今回、限界化してわかった。
苦しい。誰かに話したい。聴いてほしい。わかってほしい。
(6月5日追記:自己否定と歪んだ完璧主義のきっかけの一つである被害妄想と人間不信についても書く。
書かないと、世に訴えないと気が済まない。)
11.
これを書いた6月2日に咽び泣くほど心が限界になって、
次の日も、この文章を投稿する6月4日も、
ふとしたことで胸が締め付けられ、涙が出て、自分の弱さや大きすぎる不安に打ちのめされている。
「まるで映画冒頭の彩葉じゃん」と思った。
本編で流れる「瞬間、シンフォニー。」も泣いてしまうけど、「Ray」の歌詞もまた「別れ」と「それでも生きていく」ことを教えてくれているように感じて、今の自分ではボロ泣きしてしまう。
ああ、また映画館で、みんなで楽しく観たかったな。
#自己否定 #不安障害 #超かぐや姫
— 如月黒充🇯🇵 (@chromitz) June 4, 2026
心が限界をむかえて、生まれて初めてむせび泣いた。
楽しくない話題を書くことを許してくれ。
▼フィクションの「超かぐや姫!」と現実の自分の比較/心の支えと避けられない別れについて書き殴る | 内向型人間の知恵ブログ https://t.co/CskQrRVybN