【絵の悩み】完璧主義の自分が描けなくなった理由をまとめてみた(2017年8月版)

サムネイル:フードをかぶった男性
NOTE:2019/02/24
ありがたいことに、この記事は今まで書いた記事の中で上位のアクセス数があります。
共感していただける嬉しさとともに、当時訴えかけることに必死で、内容が冗長であると感じています。
絵の悩みについては今後、特設ページが準備でき次第、もっと読みやすい形でお届けできればと思います。

絵の悩みというのは、おおよそ性格や技量の話で落ち着きます。
しかし、精神的な悩みを「性格のせい」で片付けるのは、早すぎると思っています。

私は完璧主義に毒されています。
私は(完璧主義のせいで)考える時間は多いです。

この記事を書いたのも、「絵が描けない悩み」というものを、「性格」というふわふわしたものではなく、完璧主義と関連があることを示したかったからです。
悩みをリストアップしたのも、悩んでいる人をゼロにしたいから。

完璧などないとわかっていますが、治すためにあがいている道の途中です。
解決にまで至らないかもしれませんが、一部に「反論」という形で歪んだ価値観にツッコミを入れています。

「同じことで悩んでいる人がいるんだ」「自分だけじゃなかった」「このヒントなら役に立つかも」と思っていただければ幸いです。

深刻な項目(★マーク)は文章が長いです。ゆるして。

前提:ここでいう「絵」とはイラストのことで、例えばPixivの大半を占めるデフォルメ(萌え絵)のタイプです。

完璧主義の特徴をおさらい

完璧主義の特徴を、簡単に並べてみました。

・理想が高い
・できないより、できた方が良い
・良い結果を期待しがち
・仲間やグループにまで価値観を押し付ける場合がある
・失敗した場合、自分の未熟さを責める
・何をするにも上手く行くと思えず、行動を起こせなくなる

高いハードルを設定して、それを自分で越えられずに、自己嫌悪します。
このループを繰り返すうちに、「どうせ何をしてもダメだ」と努力することが苦痛になります。
【参考】
学習性無力感 – Wikipedia
私の悩みを整理した結果、4つに分類することができました。
・描き始める前
・描いている途中
・描いたあと
・描いていない時間

完璧主義だと、どのように苦労するのか。
なぜ描けなくなってしまうのか、順番に見ていきたいと思います。

描き始める前のフェーズ

ポーズ・構図がかぶるのが怖い(★)

挿絵:顔を隠した女性の写真

以前書いた記事でも、この悩みを扱っています。
【関連記事】
【絵の悩み】絵を描く方法が間違っていたから作品を削除した話と、その後の挫折
▼症状
「絵を描きたい」と思ったとき、それは自己表現の時間だと思います。
私の場合、それだけでなく、どうしても上手さ(質の高さ)や正しさ(違和感のなさ)を意識してしまいます。

私は模写をすることで、「上手いと思ってくれる要素」を身につけようとしました。
それがキャラクターのポーズや、構図(カメラアングル、オブジェクトの配置)です。

最近になって、一つの疑問に気づきました。
自分が描きたいと思っているものは、どこかで見たことあるもので、それを描くことはパクリになるんじゃないか?」と。

この疑問は、私に重い制限を課しました。
描けるようになるための練習なのに、「イイな」と思えるものを模写すればするほど、「描いてはいけないブラックリスト」に登録されるのです。

「描きたいもの=どこかで見たことあるもの=アウト」という式が、私の中で成立してしまいました。

私は「自分の力で描けなきゃダメだ」と思い詰めました。
当然、未熟なので描けるわけもなく、描くことが嫌になってしまいました。
▼考察
自分一人でどうにかしようとするところが、完璧主義の影響を受けていますね。
「成功すると思えない」「上手く行くと思えない」ためにやり通すことができずに挫折するのもそうです。

また、トレパク問題のように著作権が絡むことに敏感になっています。
完璧主義なので、そういった問題を排除したい。
同時に、一つとしていちゃもんを付けられることが不安で、「わずかな可能性」に振り回されてしまいます。
▼反論
ポーズに著作権はないという事実。
「人間が特定のポーズをとれば、他の人が真似してもそうなるし、その様子を絵で表現しても同じになる」

さすがに、印象的なポーズ(例えば、マクロスフロンティアの「キラッ★」とか)の女性を描いたとしたら、「見て描いたなコイツ」と思われるだろう。

ただ、キャラクターを差し替えて「パロディ」とするなら(著作権的には改変に当たるが)、タイムラインでは喜ばれた。
その様子を見ていたが、誰も指摘しない。

ぶっちゃけ。ぶっっっっちゃけ言えば、特徴のある(有名な・認知された)ポーズは「ディスってなきゃOK」だろう。
それをいちいちアラ探ししていたら(裁判費用や労力の関係で権利者は何も得をしないし)、創作活動は死んでしまう。


▼構図は、まだちょっと怖い
構図に関しては、写真の分野では著作権が存在します。
思想や感情による、意図して撮影された構図には著作権があるから。
(風景写真のように「動かせない」「(時間や季節を)コントロール」できないものは、その限りではない)
【参考】
写真の構図に著作権はある?ない?気になったので調べてみた – ログカメラ
私の中の構図の定義は、キャラクターのポーズとカメラアングルの2つが主になっています。
(表現・演出も無視できない要素だが、例えばグラビアのような女性のイラストは、基本的に明るい場所になるから、要素としての比重は小さくなる)

これを絵・イラストで考えると、どうなるでしょうか。
例えば、ギャルゲーで見るような、被写体(モチーフ)を斜めに描いたとしましょう。
(今の私は描けないので、ゲームのSSで代用する(Fig1))

PCディスプレイの主流は横長で、これに合わせるコンテンツは溢れかえっています。
技法の話でいうと、「対角構図」は写真・絵で動きを出すために有効です。
つまり、「良く(Goodに)」見える。

キャラクターを斜めに描いて、ウェストショットやバストショットのように切り取られた絵には、「意図がある」と考えられます。

だからビビっています。
だけど、グラビアの分野でみれば、テンプレ(お決まり)の構図(ポーズとカメラアングルの組み合わせ)は大量に存在することに気づきます。
人物が違うか、場所(背景)が違うくらいです。
例えば、カメラマンは撮影するときに、いちいち気にしていないでしょう。
彼らは、その瞬間(表情、ポーズ、背景、構図、色合いetc)がイイと思ったらシャッターを切る。
かぶっているかどうか、比較するものがそもそも手元にない。

これらを整理すると、
・私が悩んでいるのは、他人の作品を見ているから
・技法が身についていれば、他と比較する必要がない

だけど、下手だからこそ「資料を見ろ」「見ずに描くな」と強く言われる。
矛盾のように感じます。
(これ以上考えたら、頭がパンクしてしまう)

落とし所としては、「見ながら(元を意識して)描くな」というところだろうか。

Fig1.キャラクターを斜めに描いた場合のイメージ
Fig1.キャラクターを斜めに描いた場合のイメージ

演出・ネタがかぶるのが怖い

挿絵:セクシーな女性のシルエット

▼症状
私の中の演出の定義は、ちょっと説明が難しいです。
絵では、色合い(例えばパートカラー(一部はカラーで、他はモノクロ))が関係する技法のようなものだと思っています。
マンガだと、例えば「間のとり方」。
真っ白(または黒塗り)なんだけど、時間の経過が感じられる、とか。

ネタというのは、パロディや衣装のことです。
当方、男性がゆえにえっちぃ話になるのですが、アニメやゲームなどのキャラが二次創作によってバニーガールとか競泳水着とか着てると、「あぁ〜ええな〜(*´ω`*)」となるわけです。
(退魔忍のパロディや、「童貞を殺すセーター」、「フロントジッパー競泳水着」など、別のコンテンツのキャラクターで衣装の取り換えをするとか)
ここまではいい。

「さぁ描こう」としたとき、私には抵抗と罪悪感が生まれます。

「俺も○○に競泳水着を着せたい」と思ったとき、そこには明確に「元ネタ」があります。
「自分だけではネタが思いつかなかった」という現実、パクリや二番煎じだと指摘されることが怖くて仕方がない。

考察と反論は、次の項目でまとめて行います。

大好きでないものを描いてもいいんだろうか

2019/07/16 追記:
サブタイトル「流行に乗って作品を見てもらおうとする卑しい気持ちへの抵抗」

▼症状
最新作のゲームとか、話題のアニメとか、流行は形を変えていきます。

私は、その流行に乗ることができません。
便乗することに罪悪感があるからです。

流行は、人を惹きつけるものです。
だから、惹きつけられることは、何もおかしくありません。

流行のコンテンツのキャラクターを描けば、それだけで人の目に止まる確率は上がります。
その行為が、「自分の実力に見合わない」「楽をしている」を思ってしまうのです。

大好きではないけど、「なんかイイから」と割り切ることが出来ません。
正直、TwitterとかPixivをフォローしていると、うらやましいです。
俺も描きたい。
▼考察
自分の力を過小評価しているので、実力に見合わない舞台(場)をさけようとします。
TwitterやPixivを「質の高いものが並ぶ場」だと思っているので、その中に入ることをためらいます。
(公園で一緒に遊びたいけど、自分にはその資格がないと感じ、引き返す)

論理を分析すると、「上手いから => 見てもらえる」という式(価値観)を、流行りに乗ることで無視できます。
下手だけど => (流行りだから)見てもらえる」となり、これが抵抗を生みます。
「そんなことをしていいのだろうか」という倫理観や、楽をすることが卑怯だと考えてしまうからです。
絵描き同士が同じネタを共有して楽しんでいるのがうらやましくて。
同時に、「自分が同じことをやると許されない」と自罰・自虐的に感じます。

演出・ネタがかぶるのが怖いのも、同じです。
▼反論
演出・ネタと、流行に乗れない話は、どちらも「考えすぎ」だと言えます。
(それを言ったら完璧主義の悩みも全部そうなんだけど)

こと演出で言えば、これをいちいちチェックしていたら、マンガもアニメも絶滅します。
同じ演出を見かけるのは、「真似をしたから」ではなく、「必要な演出を使った結果」だからです。

ネタに関しては、今は反論できません。
自分で思いついたものでなく、影響を受けた(インスパイアされた)ネタの場合、ためらって、描けないままになってしまいます。
でも、それで絵描き同士が楽しんでいるということは、「責められない」という証拠でもあるのでは?

流行については、「乗ったほうがいい」という反論をします。
これは、流行を追いかけることが視野(バリエーション)を拡げることにつながるからです。

お祭り気分でその時の流行に乗ってみるのもいいかもしれません。艦これ、グラブル、おそ松さん、東方、ポケモン、ラブライブ、アイマスなどが根強いですね。興味なかったけど思わずハマってしまうなんてことも。でもジャンルをコロコロ変えるのに抵抗がある方にはあまりオススメしません。ただ私はその時の流行に乗ることも大事だと思っています。自分流を貫くのも悪くは無いですが、視野が狭くなりやすいからです。

どうしても踏み出せないときの合言葉は、「大丈夫。死ぬわけじゃない」です。
これを自分に言い聞かせれば、少しマシになります。

二次創作に怯える

挿絵:OKサインの男性のシルエット
ポーズや構図、パロディなどと著作権に怯えてきましたが、二次創作をすることにも怯えていました(過去形)。

その昔は「みんなやってるし」という理由で、ダメな理由など微塵も考えたことはありませんでした。
経緯としては、絵の描き方が間違っていることに気づいてからですね。
トレパク問題を調べているうちに不安を煽られ、二次創作をすることが罪のように感じてしまいました。

でも大丈夫。いい知らせがあります。

この悩みは、論理的に、(基本的に)合法という形で解決しました。
二次創作は、国(日本)が合法という見解を出し、推奨しています。
【参考】
二次創作は基本合法です。 – Togetterまとめ(2016年9月13日)

まとめ部分だけでなく、コメント欄まで読めば、二次創作は合法であるという論理を補強することができます。

私の場合、ポーズや構図の悩みが解決すれば、もっと描き始めることが簡単になるのですが……。

(※2019/6/23追記:公式・作者によるガイドラインがあるならそれに従ってください。二次創作はやはり真っ黒ということで、私は二次創作恐怖症になりました。)

描きたいのに、描けない

2019/07/16 追記:
サブタイトル「評価されたくて絵を描きたいが、自分の絵が不満で完成させられない」

▼症状
「描きたいのに、描きたいものがない」または「描くことが好きなのに描けない」など、創作を妨げられている状態。
欲求があるのに、それを始められない矛盾のようなものに悩む。
▼考察
もしかしたら、それは本心ではないのかもしれません。
本音は、描きたいのではなく、「評価されたいのに、(そのための材料)が描けない」というものです。

描くことは楽しくて、そこにウソはない。
だけど、多分、目的と手段がズレているんだと思います。
私が、まさにそうだから。

描くことが「目的」なんじゃなくて、それを材料にして、自分自身が評価されるための「手段」になっています。
こればかりは、今の自分では変えられません。
つらいことだし、間違った動機かもしれない。
でも、今の自分には、自分自身を支えるものがなくて、「頑張っている自分」と「評価されるかもしれない」という希望しかないのです。

これが、「目的」として自己満足で終われない理由です。
(当然、完璧主義の落とし穴です……)
また、完成した絵が、自分の理想と違っていることが不満なのかもしれません。
完成主義者は理想が高いですから、満足することが難しいです。

その主観的な判断も、TwitterやPixivという場で、RT数や「いいね」の数のように「具体的な数字」が裏付けてしまうので、ますます「自分は下手だ」と落ち込んでしまいます。

描いている途中のフェーズ

手抜きと思われるのが怖い

挿絵:寝ている女性の写真
▼症状
モチーフを決めて描き始めると、「キャンバスの外」の部分が気になってしまいます。
また、手を後ろにまわしていたり、後ろを向いていて顔が見えない状態を描くことに抵抗があります。
バストショットやウェストショット、顔のアップなど、体の一部を描くことがサボっている(楽をしている)ように感じてしまいます。

絵・イラストというものは、必ずしも全身が描かれるとは限りません。
本の表紙やCDジャケット、パッケージイラストを見れば、それがわかります。
▼考察
これには、ミスリードさせる要素が混入しています。
それは、「技量が未熟である」ことです。

「完璧を目指すために全身を描かなければならない」のではなく、
「手も足もちゃんと描けないのに、それを避けたら上達しない」と思っているのです。
▼反論
全身を描くことは、手間がかかります。
ですが、手間がかかったからといって、質の高いとは限りません。

全身を描いた苦労が評価されるなら、世の中のパッケージは、すべからく全身が写っているでしょう。
そうでないということは、モチーフのアップ(切り抜き)が、それぞれ役割を持っていることを意味します。
だから、ウェストショットやバストショットという名前がついているのでしょう。

自分が表現したいものに適した手法を使う。
表現したいもの(メイン)が描ければ、省かれたものは気にしなくてもいいんです。
手や足がメインの一部であるときに、ちゃんと描ければいいんです。

だからこれは、何も悪いことではないんです。

「ちゃんと」考えながら描いているかどうか

2019/07/16 追記:
サブタイトル「自分が間違った道を行き、時間を無駄にするような損をしたくない」

挿絵:頭が電球の男性のコラージュ

▼症状
絵の上達についてググった場合、「考えて描く」というフレーズが必ずと言っていいほど登場します。
骨や筋肉、光の当たり方や重力などの物理法則を意識して線を描けってことですね。
紙は平面ですが、線は立体を意識して描かなければなりません。

私は、描いている最中に「考えている」自信がありません。
人体構造やら遠近法やら、考えてはいるんだけど、それが本当に「考えている」と呼べるものなのか、わからないのです。
描いた線に満足できないので、実感できない状態です。
▼考察
模写というものは、「その線の生まれた理由」を知ることです。
私は長い間、「コピー機のように平面に再現する模写」をやっていました。
「考えない模写」とも言えます。
(最近は「目トレ」という言葉が生まれたようです)

この過ちからわかるように、平面上に再現する行為を繰り返していました。
元絵を見て描いているから、それが模写であると疑うこともありませんでした。

おそらく、完璧主義だと課程(線が生まれた理由を知る)より、結果(元絵の再現)を重視してしまうのでしょう。
完璧主義をやめることと、人体構造などの知識を身につけることの両方からアプローチする必要があります。

それまでは、「考えて描く」のも、不十分な時期が続くと思います。
早く評価されたい。

時間がかかりすぎる

2019/07/16 追記:
サブタイトル「作品づくりに時間がかかると模写の練習ができなくて不安になる」

▼症状
とにかく描くのに時間がかかります。
(遅筆(ちひつ)とも言う)

特に、「描きたい線が見えていない」ことで、ペン入れ(線画)を何度もやり直しました。

まだ(改変だけど)描いていた頃は、表情やテキストの差分込みで2〜3週間はかかっていました。
1日に8〜10時間ほど割いていたのに。

後半は「早く終わりたい」と疲れきっていました。
このときは描きたいシーンも20程度を予定していましたが、「このままでは2年かかる」と気づいて3作でやめてしまいました。

何より、描きながら上達することに焦っていたので、学べることが「1週間に1個」のようなスローペースに耐えられませんでした。
▼考察
ひとつ目の理由は、人体の絶妙な曲線です。
ペンタブに慣れず、線をつなげようにも重ならないのが一番大変でした。
この当たりは、ずっと情報を探しています。
(液タブなら楽になるんじゃないかと希望を抱いています)

ふたつ目は、修正が終わらないこと。
不満な部分が次から次に見つかります。
おおよそ、人はそこまで見ていないのですが、「これで完成!」と妥協するまで時間がかかります。

最初から上手くかけていればいいんでしょうが、それは叶いませんね。
これはもう、経験でしか解決できないと思います。

「資料」の定義がわからない(★)

挿絵:倒れた本の写真

▼症状
絵の上達についてググると、必ずと言っていいほど「よく観察しろ」「資料を見ろ」と書いています。

資料の定義が、わからないんですよ。
そりゃあ、ファンタジー世界の生き物や装備、民族衣装など、手元にないものを想像で描くなんてありえません。
稚拙な結果になるとわかっていますから。
(なぜか、人体については「自分自身が人間なんだから、見ずに描けなきゃダメだろ」という風潮がありますが)

ポーズを描くために資料を見るのに、見て描いたものは、模写のようでルール違反だと思われます。

自分が必要としているなら「資料」と呼べるハズ。
でも、「見て描いてはダメ」という矛盾。

資料とは、いったい何なのでしょうか……。
▼考察
落とし所としては、資料を使うタイミングがカギだと思います。

資料となる絵をベースにしたら、それは模写のような、「見て描いたらダメ」な分類になる。
自分でポーズや構図を考えて、必要な箇所で使うことが、「正しい資料の使い方」と呼べそうです。
どちらも資料と呼べるから、混同してたんですね。

この使い方なら、問題ないという裏付けもあるので安心出来そうです。

ポーズは自分で考えて、同じ方向から見た腕の筋肉だけ模写する(他はポーズも服も表情も髪形も全くの別物)
(略)
人体そのものは著作物ではないです(顔についてはいわゆる「肖像権」等の対象にはなりえます)。
他方で、印影を美しくライティングして撮影したような写真には著作権が成立しますので、そのような写真と見まごうような表現でなければ、問題ありません。

▼同じ疑問を持っている人がいた
この悩みは少数派のようで、固有名詞もないのでググるのが難しいです。
ですが、この悩みをどうにかしようと、あがいている人が過去にもいました。

ひとつ目は、Yahooの知恵袋から。

そして、どうやら私は1度見た絵の構図やポーズを無意識の内に使ってしまうようです。
見た絵のことは本当に全く覚えてないんですが、
構図に使っている時が度々あります…。
なので何を描いても、もしかしたらこの構図も以前見たやつかもしれない…と常に不安で、
(略)
いつ誰かに盗作と言われるか、考えただけでも胃が痛みます。
絵を描きたいのに構図を考えるのがとても怖いです。

ふたつ目は、2chのまとめから。

60: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2015/07/05(日) 09:48:07.32 ID:Qui3rehKp.n

見て描くの意味を履き違えてる

上手い人「こういうポーズ・構図を考えた」
上手い人「想像だけじゃ狂いや間違いがあるから資料を見て仕組みを覚えて正しく描こう」

>>1「この絵のポーズ・構図いいな」
>>1「自分の絵に取り入れるのに見ながら写して描こう」

普通の人が言う見て描くっていうのはこの画像で言う参考するっていう事

67: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2015/07/05(日) 09:56:28.68 ID:bNH0qyVK0.n

>>60
これは逆さまのちょっとリアルなリンゴを描きたい場合でしょ
じゃあ元画像のリンゴのような絵を描きたい!って場合はどうするのか?
どうしても元画像に似てしまうに決まってる
参考にして描いただけでもそれをパクリと言われればおしまい

「この画像」も「転載はご自由に」ということなので、掲載させていただく(Fig2)。
(クリックするとフルサイズでご覧になれます)

Fig2.絵の描き方の種類と解説
Fig2.絵の描き方の種類と解説

このレスと同じように、画像の解説には疑問が残ります。
(疑問と「パクリと言われればおしまい」の節は、分けて考えることができますね。)

「逆さまのリンゴ」を描きたいなら、どうして「逆さまのリンゴ」を資料(写真・画像・現物)として用意しないのか?

「元画像の(正面から見た)リンゴ」を描きたいなら、正面から見たリンゴを資料にするでしょう。
でも、リンゴを正面から見ただけじゃあ、リンゴの尻がどうなっているかなんて、わかるだろうか。

これは、描きたいものとは違うものを、わざわざ用意しているところが理解できない。
人間の後ろ姿を描きたい時に、正面から見た資料を用意するんですか?ってこと。
(この指摘をすると、このスレッドのように、ちゃんとした回答が来ないんですよ)

「そこは知識で3次元化して、それをもとに描くんだよ」というニュアンスの主張がありますが……それはリンゴの尻がどうなっているのか「知っている」のが前提で。
(この解説画像は、リンゴの尻に黒い毛のようなもの(おしべのなごり)があることを知っている)

まったく違うアングルの資料を用意することと、「わからないから資料を見る」ことのつじつまが合いません。
知っているなら、資料を用意する必要がない。
「パクリと言われれば〜」の部分は、「上手い人」にも同じことが言えます。
考えついたポーズや構図が、既に存在している可能性は否定できません。
(真似るのではなく、かぶる)

ただ、世の中のすべての作品をチェックして、かぶらないように事前に調べておくことは不可能なので、偶然の産物は問題ありません。
ここで重要なのは、作者が「(模写のように)見て描いていないとを証明する」ことは難しいが、第三者もまた、「作者はパクって描いたと証明する」ことはできないことです。

つまり、マジメにやっても、いちゃもんをつけられる可能性は残るということです。

この点はレス番号135〜177が言及していますが、公開を妨げるような価値観が広がっていると言えます。
「資料の定義が不完全」であること(完全に定義するのも息苦しいだろうけど)、「創作の芽を摘む行為」が過剰であることは確かでしょう。

描いたあとのフェーズ

自分の絵に満足できない

▼症状
妥協ができない完璧主義者なので、「なんとなくダメ」だと思ってしまいます。
(明確にパースや構造上のミスなどの欠点を見つけることもありますが、なぜか「公開後」に気づきます)

ダメだと思うことが想像なら、「考えすぎ」と片付けられそうです。
ただ、SNSを利用すると評価が数字として現れてしまうので、「劣っている」という想像が事実に変わってしまいます。
▼反論
完璧などないということを知ることが、カギになるかもしれません。

上手い人のPixivの作品をさかのぼることです。
古参なら、2008年か2009年あたりにすでに作品を投稿しています。
(もう9年ですよ。9年。自分も描き続けていれば今頃……)

最初はお世辞にも上手いと言えないものもあります。
最初の作品は(18禁補正がなければ)閲覧数も少ない。
でも、9年経った今、ン万人のフォロワーを抱えるほどに上達しています。

今、私が上手いと思っている方も、当時は、そうではなかったのです。

悩んでいる人は、私も含めて、公開したものが少ないと思います。
少しは公開してたけど挫折したり、公開すらできなかった経験があるでしょう。

だから、「今」に執着しているのです。
「今」描いたもので、評価されたい・されないとダメだと思ってる。

「継続は力なり」というけれど、その実例を見た後なら考えを変えられそうです。
「下手だから下手」なんじゃない。「継続していないから下手」なんだ。
今が下手なら、未来で上手くなればいい。
反省は、次回で活かせばいい。
未来の自分を信じよう。
(自分の歳で勘定してしまうと、また別の悩みが出るのでやめておく)

他人と比較して落ち込むのもそうですが、やはり続けることでしょう。
「今は下手」という事実を受け入れながらも、「未来の自分は上達してる」と信じることです。

描かなければ、上達しない。
描くのをやめたら、絶対に上達しない。
目が覚めたら上手くなってるなんて、絶対にありえないんだから。

(「早く評価されたい」という項目もあったのですが、これを書いていて同じ結論に至ったので省きました)

上手くなりたいとあがいているとき

動機が完璧でないと悩む

子どもの頃の夢とか、○○がしたいとか、できたことがありません。
自信なく育ったので、成功体験も少ない。
大人になっても、始めることは、どれも難しく見える。
何かを「一生やっていく」なんて思えたことがなくて。

失敗が怖くて、夢中にならないように脳が無意識にブレーキをかける。

「本気になれない自分が、こんなことをしていいのだろうか」と悩みます。

死ぬまでに、マンガにしたいネタを形にしたい。
その程度の理由で、絵を描いていいんだろうか。深刻な絵の悩みを公開していいんだろうか。

描きながら育たなかった後悔

挿絵:ギターを抱えた少女の写真

私は、才能という概念を信じていません。
代わりに、適性のある・なしを信じています。

例えば、上手い人は「絵の才能」を持って生まれるのではなく、「モノをしっかりと見る適性」をもって生まれてくると考えています。
隠しパラメータみたいに、やってみないとわかりません。

でも、才能や適性があるからと言って、何もしなくていいわけではありません。
練習をしない金メダリストなんていませんから。
上達には、費やした時間が欠かせないと思います。

さきほど、「早い人はPixivを利用して9年になる」と書きました。

私も、「それだけ継続していたら……」とため息がでることがあります。

絵を描くことは嫌いではありませんでしたが、自発的に描いたことはほとんどありませんでした。
子どもの頃に描いたポケモンも模写だったし、14歳(中2)くらいで人物キャラクターに興味を持っても、長続きしませんでした。
今よりも人物の知識がなかったことを除いても、その頃から、他人の絵と比較して落ち込んでいました。

楽しさだけじゃ、描けなかったんですね。

目標を持って描き始めたのが2014年末。
努力が必要だと思いながら、やらなかった日もあります。

言い訳かもしれませんが、夢中になりたかったです。
「努力を努力と自覚しない練習」がしたかった。

これが「描きながら育った人」との違い。
理想が高いだけで、技量も心構えもなってない自分は「偽物」だ。

夢中になって、時間も忘れて何かをするなんて、絶対にできない。
上手い人との差、自分より若くで上手い存在、そういうものを一度知ってしまったら、努力は苦痛になる。
「練習するなら追いつかなきゃダメだ」と考えてしまいます。

こればかりは、現状では打開できずにいます。
悩みすぎるのもほどほどに。

まとめ

1. ポーズ・構図がかぶるのが怖い
2. 演出・ネタがかぶるのが怖い
9. 「資料」の定義がわからない

▼1,2,9のまとめ
・ポーズに著作権はない。
・意図した構図には著作権がある。
・資料とは、アイデアを補強(リアルに、説得力があるように)するためのもの
・自分で考えついたアイデアなら、何も恐れなくていい。
・思いつかないのなら、練習する
・写真を絵に起こしたり、髪型や服装を改変したものを公開することは、リスクが伴う
3. 大好きでないものを描いてもいいんだろうか
▼まとめ
・少しでも描きたいと思ったら、自分に正直になる
・視野を拡げるためにも効果アリ
4. 二次創作に怯える
▼まとめ
・二次創作は、(基本)合法。
6. 手抜きと思われるのが怖い
▼まとめ
・構図には、それぞれ役割がある
・見せたいものが描けていることが大事
8. 時間がかかりすぎる
10. 自分の絵に満足できない
▼まとめ
・まずは妥協を覚える
・完璧は存在しない
・反省は、次で活かす
・描き続ける
▼未解決
5. 描きたいのに、描けない
7. 「ちゃんと」考えながら描いているかどうか
11. 動機が完璧でないと悩む
12. 描きながら育たなかった後悔

あとがき

もともとは、悩みのリストを書き出すくらいの動機でした。
いざ書いてみると、反論を考えているうちに「なんだ、答え出てるじゃん」という項もありました。
実際にペンを持つと、そう上手くはいかないものなのですが……。

目標があるなら、下手だろうとやった方が良いと思えるようになっています。
徒然草にもそう書いてある。

不安は、たしかにあります。
描きたいネタをマンガにできたからといって、評価されるとは限らない。
でも、これ以上、1年も2年も描けない自分では、いたくない。

絵が描けなくて悩んでいる人の役に立てば、さいわいです。

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【利用ガイドライン】
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