(19) 「できる」の精神的3段活用

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うつや劣等感など、精神的にまいっている状態では、日々の生活もままならないときがある。
私も2011年~2015年ごろまで、うつ状態を経験した。
自信がなく、それをどうにかしようにも、どうにかする自信がなかった。

そんな自分が「どうすれば行動できるようになるだろう」と思いついたことを書き留めたい。

「できる」の精神的3段活用(勝手に命名)

何かをするには、少なくとも自分自身が「できる」と思っている必要があると思う。
どうしようもなく落ち込んでいるとき、経験者のヒントでも、受け入れがたいことは珍しくない。

例えば私の場合、「自分を縛っているのは自分」「思い込みをやめればいい」という主張が理解できなかった。受け入れ難かった。
当時は「それはわかっているけど」「それができないから困ってるんじゃん」と思っていた。(今でこそ納得できるが)

どうにか自信を湧かせるために考えたのが、「できる」のハードルを下げることだった。

「自分でもできる」と希望を持ち、
「自分にもできる」と経験を得て、
「自分だからこそできる」と自信に変わる。

「自分”でも”できる」

楽観的な人にいわせれば、世の中のことは、大体どうにかなるようだ。
それはすぐには納得できないことかもしれないけれど、確かに、「不可能だと決まっているわけでもない」。

だとしたら、「自分でもできるのではないか」と希望を持つのは、何もおかしくない。

私が若者の自殺対策の講演を聞きに行き、楽観的な思考を試せるようになったのは、「こんな自分でも真似できるハズだ」と希望が実践に移ったからだ。

(もちろん目標を小さくした方が成功体験は積みやすいし、身の丈に合わないハードルは避けたほうがいい)
(精神的にまいっている人がいるとしたら、ここが一番大切なことだと思う。)

「自分”にも”できる」

「できないと思い込んでいたことが、自分にもできた」のであれば、歯車は少しずつ回り始める。
小さな目標をクリアしたり、継続を習慣にすることができる。

1日に1センチしか進まないとしても、10日後には10センチ先まで進める。
毎日同じペースでは進まないかもしれないけれど、留まっていた場所さえ離れれば、違った景色が見えてくる。

私は今、この辺りにいる。
「自分は何もできない」「生きている価値がない」と思っていた。
今でも落ち込むことはあるけれど、受け止め方を見直したり、回復した経験が「立ち直れる」ことを証明し、身近にあった幸せを実感できるようにもなった。

「自分”だからこそ”できる」

ここまで語れれば理想的だった。

語ることができるとしたら、「『自分だからこそできる』というのは自分自身に対する最大級の肯定」であり、「希望」だということ。

「自分だからこそできる仕事」
「自分だからこそ作れるもの」
「自分だからこそ、この人を幸せにできる」
そう思える境遇はきっと楽しいことだろう。

私がこの考え方を使うとしたら、「自分だからこそできることが、きっとある」と考える。
この世に生まれて、目で視たもの、食べたもの、嗅いだもの、触ったもの、経験したこと、形成された価値観……そのすべてが唯一無二の自分だからこそ、できること・生き方が絶対にあると思う。
これが希望。

さいごに

3段活用とは言うけれど、簡単には最後までいかない。
だけど、うつ状態を抜け出すなら、希望を持って最初の一歩を踏み出すことがはるかに大切。

いきなり「できる」と思い込ませることは、リスクがある。
例えば、私のようにマジメ(悪い意味で)な、いわゆる「うつになりやすい人」は、自身に嘘がつけない。
それどころか、罪悪感をおぼえる傾向がある。

「できる」と暗示をかけても、実際には理想の結果なんて得られるハズもなく。
「できると思った自分」と「できなかった現実」から、自分自身を攻撃してしまうのだ。

“社会のレール”から外れた身だと、気休めにもならないかもしれない。
就職や恋愛、結婚が”幸せの条件”だと思いこんでいると、「これらが達成できなければ意味がない」と思いつめたことがあるから。

言い方は悪いが、世の中には他人のことなんて知ったこっちゃないような人間が平然と生きていたりする。
(それは外向型の行動原理が現代社会と相性が良い面もあるが)一方で、考え込んでしまう人は、解決の糸口を思いついて試すことができる。
もし、不幸が思い込みだと疑えたなら、立ち上がってみてほしい。

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