(48) 自己否定していると趣味も仕事も人生もうまくいかない(2024-年頭所感)

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年が明けて1ヶ月近く経とうとしている。

年始から大変な出来事が日本中を駆け回っていたけれど、自分はといえば年末からすでに暗く落ち込んでいた。

自分が抱えている悩みはどれも深刻だけれど、自分が多くの時間を費やしている絵・イラストについて改善の兆しが見えないことが本当につらい。

  • 上手くないと認められない・価値がないと思っているから完成しない
  • 認めてもらいたくて理想が高くなり、実際の画力とのギャップで自信と気力を失う
  • 恥をかきたくなくてレベルの低い自分の姿を晒せない

一言で表すなら「失敗ができない」。
失敗しないために挑戦する機会を失っている。
「失敗しないために行動しないことこそが失敗だよ」というアドバイスは定番だけれど、頭ではわかっていても全然反映できなかった。
(徒然草にも同じようなことが書いてあることを知っていたけれど、このザマ。)

そんな折に見つけた言葉がとても刺さったし、気に入った。

「俺は絵が上手くなってからじゃないと作品をアップしない」という考えはやめて、ワケわかんない作品でもさっさと発表したほうがいい – Togetter

「世の中が狂っている」「社会が狂っている」というのは以前にもどこかで聞いた言葉で、でもそれだけでは他のアドバイスと同様に変化をもたらすことができなかった。
今回は、それが「絵の悩み」として関連づくことで自分の置かれた状況に適した・解像度の高い解釈を得られたと思う。

「社会は正常だけど俺はダメ」なのではなく、「俺も社会も不完全」ということ。
もうね、免罪符として接頭辞に使っていきたい。
「世の中みんな狂ってるから、遠慮しなくていい」、
「世の中みんな狂ってるから、自分の基準で生きていいじゃないか」と。
「世の中みんな狂ってるから、自分を追い込んで自滅しなくていい」、
「世の中みんな狂ってるから、自分が好きなものを描いた方が得じゃないか」と。

そう考えれば今年はどうにかできるかもしれない。という内容で年頭所感を書こうと思っていたのだが

劣等感で転がり落ちる。再びうつ症状へ

年末に、自己肯定感が高い人とは生きている世界が違うということを強く自覚させられた。

例えば、コミケやRTAinJapanのようなイベントで人前に出られる人。発表・披露することができる人。
例えば、駅ビルでファッションをバッチリ決めた美人さん。楽しそうなカップル。

人前に出られる人、他人の目が気にならない人、結婚できた人……
髪を染めたり、着るものを選ぶのも、彼らは自己肯定感が高いから他人の目より自分自身を優先できる。
自己肯定感が高ければ仕事ができるし、恋愛も結婚も、やりたいこともできる。
そんな人達を見ていると、 自分には生きている価値が無いことを教えてくれる

俺とは真逆の人生が羨ましい。
↓(47)でも触れたアメリカ版コミケの動画。参加者は絶対自己肯定感が高い。

テレビでもラジオでもネットでも、「この人、自己肯定感が高いんだろうな」と評価するときがある。
テンションの高いラジオパーソナリティは楽しそうで眩しすぎる。
試合に臨むアスリートは、自分が負ける心配なんてする暇はない。
ゲーム配信者は、やりたいゲームを、やりたいときに、やりたいという気持ちで能動的にやっている。
自らの振る舞いが、他人に左右されるものではない生き方が羨ましい。

自己肯定感の高い人だからできたことと、そうでない自分の「いい子でいれば良かった人生」との差を理解した。
「いい子」とは、親や教師にとって手がかからず、「都合のいい子」だということ
こんなものは大学や社会ではまったく役に立たない。それどころか将来を台無しにする原因になる。

俺には自信になるような根拠が何も無い。
何も持っていない。
誰からも愛されない。誰からも必要とされない社会のゴミ。

年末からの数週間、自分に足りないものを心底欲した。
自分を中心に生きるための自己肯定感が本当に欲しかった。

「正しく生きること」は正しくない

自分は義務感で”正しく”生きていて、”楽しく”生きていない。
動画・ゲーム配信者のように、やりたいことを自分で選ぶ・他人の批判を気にしない自己肯定感が無い。

社会の”普通”である「働ける」ように、
社会の”普通”である「恋愛できる」ように、
社会の”普通”である「結婚できる」ように頑張ってきたつもりだ。
でも何の成果も出せなかった。
あるのは絶望。死にたくなくても、「死ぬしかないんだろうな」と思うことが日常になっている。

やりたいという感覚」よりも、「正しさという知識・ルールを優先する」ような生き方ばかりだと、いずれ生きる力が枯渇してしまいます。
それは、

  • 楽しい感覚がエネルギーを生み出している
  • その楽しい感覚を自制したら、生きるエネルギーが不足する
    からです。

そして、義務をこなすことで日常が精一杯になり、義務をこなすエネルギーがなくなれば、もう何をする気も起きなくなります。

「義務感で生きてる人生・生活」を変えるには、新しい解釈が必要 _ ほっとヒント

今20代で俺が羨ましいと思うことをしている人は、10年前は中学生か高校生だったハズだ。
でも俺も20代だったのに、この10年をうつ病や劣等感、社会に適応しようとした空回りで潰した
もうすぐアラフォーになる。意味が分からない。
大学を出て、実家を捨て、精々5,6年くらいしか生きた感覚がない(コロナ禍のせいで3年は確実に経過したが)。

就職も恋愛もセックスも、20代でできなければ「自分は失敗作」という価値観で生きてきた。

自己肯定感が育まれていれば、失わずにいれば、こんなうつ病にもならず無職(≠ニート)の社会不適合者にならずに済んだかもしれないのに。

他者と関われないし、人前に出られないし、他人の目が怖いし、普通の人間にはなれそうにない。
「生きてるだけで偉い」? ウソだよそんなの。
社会のレールから外れたら、それは死を意味する。

失敗が怖くなる環境で育ち、成長のチャンスをこれでもかと逃してきたアダルトチルドレンの自分には絶望しかない。
社会で生きる”普通”の人と比較して、もはやその差を埋めることができると思えない。
心は老いていないのに。

年が明け、うつ病で3週間潰した。こうやって下書きを書いているうちに4週間が経った。

自己肯定感の高い人と自分とでは、生きてる世界が違う
もう経験の差を埋められるとは思えない。
どうにかしたくてあがいてはいるが、報われるとも思えず。
生きた心地もしない、虚しい時間をこの先も過ごすんだろう。

……と書いたところで次の項目に続く。

重大なあとがき

自分は文章を書くのが遅いので、投稿できるようになるまでの間に悩みについて検索するとヒントを見つけることがある。
今回もそうで、個人的には目からウロコ・ブレイクスルーできたかのような関心する説を見つけた。
それが、自己否定感について。

自己否定感の強い人は、人から褒められても、励まされても、「どうせ本心じゃないし」とか「無理して言っているに違いない」とマイナスに受け取ってしまいがちです。

仕事で成功しても「たまたまうまくいっただけ」くらいにしか思わない。すべての体験に「マイナス」を掛け算している状態です。他者から承認されても、成功体験を積み上げても、まったく積み上がらない。ポジティブな言葉を口に出す「アファーメーション」を実践しても、効果が出るはずがありません。

自己否定感の強い人は、どれだけ「自己肯定」を重ねても、結果は「マイナス」となる。それが、自己肯定感が高まらない理由です。

自己肯定感が低すぎてつらい人のための処方箋 「死にたい」と思う人ほどもっと吐き出そう _ リーダーシップ・教養・資格・スキル _ 東洋経済オンライン

すべての体験にマイナスを掛け算している」というのがとても的確な言語化だと思う。
アダルトチルドレンの分野からでも「褒められても・感謝されても心に響かない」という問題は出てくるし、人間不信のように素直に言葉を受け取れないのは自覚している。
大学生にとって当たり前のアルバイトもできず、「普通のこともできない」という劣等感はずっと膨らみ続けた。
それは全部、自己否定感が強すぎるせいだった

自己肯定感を上げようとしても方法も曖昧で、続かず、成果が出ず、解決につながらない努力に限界を感じていた。
それが「マイナスに反転させている自己否定感をどうにかすればいい」と”倒すべき敵”の正体が判明したとき、「嬉しい」という感情が湧き上がった。希望とも呼ぶ。

リンク先の記事では、「自己否定感を改善するために自己受容をする」という風に続くのだが、今はそのアプローチを模索するだろう。
俺は不器用だから、「木を見て森を見ず」というか、失った過去を取り戻そうと自己否定感を完璧に解決しようと躍起になるだろう。
(ここを書いている今・発見した今日は右肩上がりの上機嫌だ。まるで躁うつ病。)

俺みたいな社会不適合者が今更雇ってもらえるなんて思わないし、年齢だって終わってる。俺ももう働きたいとは思えない。
この社会は、俺が生きるには難しすぎた。

カネはブログの広告収入でどうにかできていればよかったのに。
自信がないから質にこだわって数を出せず、内容を完璧にしようとして何度も燃え尽きた。
稼いでいるブロガーは、自己否定感がないから行動が収益につながるんだろう。
俺も自己否定感がなければ、動画投稿やゲーム配信という憧れから収益につながる道もあったかもしれないのに。
どうにかしたかったのに、どうにもできずにここまで来た。

すべて自己否定感が悪い。こいつさえ無ければ。

続く。読む人なんていないと思うけど。