59-日記:2026年Q2振り返り/まだ若いか、それとも手遅れか/原始仏教で「今を生きる」 | 内向型人間の知恵ブログ

59-日記:2026年Q2振り返り/まだ若いか、それとも手遅れか/原始仏教で「今を生きる」

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1ヶ月遅れの遅刻記事。手短に。

Q2前半

「やりたいこと」

絵の練習を再開。と言っても自己否定と完璧主義のせいで作品は完成しない。
自己否定や完璧主義に対処するにはどうしたらいいか、描くことが楽しめなかったらどうしたらいいか。
そういったことを調べるけれど、やはり「最初の一歩をどうやって踏み出すか」を解決できずにいる。

絞り出す勇気はなく、良く言えば「当たって砕けろ」、悪く言えば「自暴自棄」。
「どうにでもなれ」という気持ちにでもならないと実行することが難しい。

アニメ映画「超かぐや姫!」

ゴールデンウィークに友人を沼に沈めようと誘って、3回目を観た。
田舎だと1日1回の上映で、しかも夕方。
それでも県内唯一の場所で日曜日の夕方~夜の上映時間にほぼ満員。

「同じ作品を好きな人が同じ場所にいる」ということに人生で初めて感動した。
昔はポケモンとかコナンの映画とかで満員な回を経験したけど、そう思ったことはなかった。

5月の末まで上映してくれていれば4回目を観れたけど、それは叶わなかった。
(なお6月の卒業舞台挨拶で9月からの復活上映が告知された。)

Q2後半

絶望

親の病気のことで精神的にぐちゃぐちゃ。
(※その件で感情的、衝動的だった記事を取り下げました。

今年の初めにやっとの思いで公開にこぎつけた「自己否定記事」の中で、「”普通の人”の戦い方を真似していこう」と決めたのに、その決意も形無しになるような環境の変化に見舞われてしまった。
食欲や体調不良は戻ったけれど、相変わらず寝不足で、とにかく時間の流れが速く感じる。
(これで絵の練習やブログにかけられる時間は本当に減ってしまった。)

20代と30代の半分をドブに捨てながらも、どうにか”普通の人”になろうと努力してきたのに、それがまったく自信の足しにすらならなかったことに絶望もした。
心が限界になって、人生で初めてむせび泣いた

性格、気質、そして心の病が、この社会で生きていくには手遅れだと毎日思っている。
精神的虐待のある機能不全家族で育って、自己肯定感が低いままで、「どうして大人になる前に、社会に出る前に、この深刻な心の歪みを誰も指摘してくれなかったのか」と悔しい気持ちで溢れている。

心療内科には行かないといけないとずっと思っているのに、予約も取ってない。
「また複雑な事情を説明するのか」とか、「そこまでして失敗したら嫌だな」とか、「治らなかったからそれまでの労力が無駄になるかも」とか、考えている間に簡単に1ヶ月が過ぎていった。
当人がこうして思考が歪んでいても、現実は誰の何のサポートもないので一人で抱えるにはとても負担が大きい。
この振り返り記事が7月末までずれ込んでも、まだ動けていない。

【関連記事】自分らしい人生を歩むために。 諦めと悟りを背負って旅は続く 【自己否定の考察 第3回】 _ 内向型人間の知恵ブログ – 2026.1.9
(この記事で、自己否定していない人の振る舞いから「堂々とすること」を学んで「自己否定をせずに進み続けるしかない」と納得できたのに、人生はうまくいかないものなんだ…。)

今を生きる

心がしんどいときに見つけた原始仏教の本からは有益なことを学べたけれど、活かすのはなかなか難しい。
「今日」や「今」に集中して生きれば、未来の不安がなくなるという。
理屈はわかるし実践はすれども、不安が大きすぎてすぐには効果がでない。継続しないと。

あとがき

自分の性格や気質、価値基準が世の中の”普通”に合っていないことが苦しい。
外面からでは分からない生きづらさは理解されないし、その「理解してほしい」という気持ちさえも間違っているらしい
から、独りで抱えるしかないんだろうな。

社会に適応しようと人格を矯正するなんて、上手くいかなくて当然なんだけど、でも自分らしく生きることもできてない。毎日が虚しくて苦しい。

言いたいことを言って、やりたいことをやっている人が本当にうらやましい。
動画配信者やゲーム実況者はまさにそうで、笑って楽しい時間を過ごしていて、「絶対精神的に健康じゃないか」と思う。

「自分ならそれができる」という自信を「自己効力感」なんて呼ぶけれど、それがあって自分の生き方を自分で決められる人がうらやましい。
心療内科に行ったら、少しは変わるんだろうか。わからない。

今年も半分が過ぎて、世界情勢や日本の経済対策もひどくて、この先どうなるんだろう。