パソコンで文章を入力するというのは、手書きよりも優れている点があります。
入力は速いし、BackspaceやDeleteのおかげで書き損じることもない。
改行して、新たに文章を割りこませることも手書きでは難しいことです。
その中でも、漢字の変換機能は誰もが恩恵を受けていることでしょう。
「読めるけど書けない」という変換を助けてもらうことが当たり前になっています。
一方で、「漢字を覚えなくなる」などの学習面での懸念もあります。
今回は漢字の変換について、言いたいことを書いていきます。
“何でも”変換はしない
世間には「漢字を使う=賢い」という図式があるように思います。
就職活動にも出てくるし、「大人ならそれくらいは書けたほうがいいよね」という風に求められていることは確か。
だからと言って、何でも変換するのは賢いでしょうか?
ブログで書きたいことを抱えるようになって気にし始めたのが、「読みやすさ」でした。
そこで思い出したのが、「漢字を開く」ということ。
文字の塊を読むのが困難な、自称:大人の発達障害の私が用いるべきアプローチだと思いました。
日本語の”リズム”と”バランス”
読みやすさとは、「リズム=読み上げる難易度」や「バランス=文字の密度、密度の分布」が関係していると考えています。
英語とは違い、日本語には半角スペースを混ぜることはありません。
句読点(「、」「。」)はあっても、パソコン上ではそれ以外に明確に区切ることができません。
日本語はひらがな・カタカナ・漢字の3種類+αを扱う、世界的にも難しい言語です。
(外国の社名やサービスなどの名詞(例:Windows)も入ってくる。)
これらを組み合わせることで、擬似的に区切り、読みやすさをコントロールすることが可能です。
ですが、基本的に漢字とひらがなが中心の文章が多く、変換を優先して漢字が続くことは好ましくありません。
読み上げる難易度を下げ、密度の高い漢字ばかりにならないように、「漢字をひらく」ということを意識するようになりました。
“漢字を開く”とは
パソコンを使っていると、おせっかいな変換機能のためにテキスト内に漢字が多くなりがちです。
引用:涼元 悠一、ノベルゲームのシナリオ作成技法、株式会社 秀和システム、2006年発売、ISBN4-7980-1399-4 c3055、P148-149
初心者のうちは、できるだけ漢字を使うのが正しい、カッコいいと、気負ってしまうこともあるでしょう。
プロは逆に、必要以上に漢字を用いないように気をつけます。
この、意識して漢字をひらがなに置き換えることを、『漢字を開く』と呼びます。
これは難しい漢字を使わないようにする、という意味ではありません。
まったく逆に、漢字で書くしかない語句を用いた時、テキストが漢字だらけにならないように、漢字にする必然性のない語句をひらがなにしておくのです。
このことを知ったのは、ノベルゲーム製作が目標の一つだった頃に読んだ書籍のおかげです。
(もう10年前のこと。見返し(表紙のあとの白紙のページ)に「Amazon 2008/9/14 注文」と書き残してあった(Fig1))
漢字を開く一例として、以下の文章も引用します。
「それは良い事だね」と彼は分かった様に言った。文句は無いと言う訳だ。
……なんだか大正時代の小説のようですが、パソコンの変換に任せきりにすると、あっと言う間にこんなテキストが出来上がりがちです。
漢字を開いてみましょう。
「それはいいことだね」と彼はわかったように言った。文句はないというわけだ。
どこまで漢字を開くかもまた、書き手の裁量内ですが……迷ったらひらがなにするぐらいで丁度バランスが取れるように思います。
文章を書くというのは、伝えたいことを表す手段です。
変換機能は便利ですが、読みづらい文章を書くことが目的ではないハズです。
今ではパソコン・スマホでの文字入力が当たり前になりました。
書き込みも、日記も、解説も、読んでもらうものであれば、「読みやすさ」を意識してほしいところです。
そして、個人的に変換するかどうか気をつけている漢字たちを紹介します。
個人的に変換しない漢字たち
見る(みる)
読みやすさ云々(うんぬん)より、そもそも意味が適切でない場合が多い。「やってみる」は「見る」ではない。
流石(さすが)
一度覚えれば、読めないこともない。
変換できるからといって、キャラクターのセリフにはぶち込むのは危険。
和のテイストが強いキャラクターであれば「らしさ」を出すために有効。
兎に角(とにかく)
上に同じ。
もうそれ「ひらがなで良くね?」って思う。
(この2件は、昔ポケモンの2次創作のSSを読む側で経験したから憶えている)
大分(だいぶ)
47都道府県の「おおいた」と毎度読んでしまう。(大分県民感)
句(文章の切れ目・センテンス)の先頭に多く、”ひらがな”でも問題になりにくい。
個人的に、ひらがなで済ませてほしい漢字第一位。
全て(すべて)
ひらがなで何か問題があるのだろうか。
捗る(はかどる)
大学生になって登場頻度が増える漢字。
「読めたほうが良い度」は高めだが、漢字で頑張らなくても良い感もある。
「は」が助詞と同じため、続けて書くときは漢字のほうが助かる場合も。
(例:仕事ははかどっているか?)
進捗ダメです。
位(くらい)
「このくらい」と程度を表せる。
順位を表すことが圧倒的に多いので、誤読しないように”ひらがな”にした方が丸く収まる。
迄(まで)
個性的な漢字。実は「二点しんにょう」。
読めないことはないし、意味も変わらない面で穏やかな存在。
ということは、変換しなくてもいいのでは。
所謂(いわゆる)
一度こじらせると「しょせん(正:所詮)」と混乱することも。
句の先頭に来やすいため、ひらがなの方が読み進めやすい感じがする。
一方で、「所詮(しょせん)」は見下すような強さ・否定的なニュアンスがあり、変換しないとキャラの口調と知能がズレる印象。
以下は裏付けを取るためにググって出てきた記事。
ひらがな、あるいはルビを振ってあれば助かったかもしれない。
【外部リンク】「所謂」を「ショイ」と読む若者の「いわゆる」音読離れに驚愕│NEWSポストセブン
※これ以外にも、思いついたら追記するかも。
個人的に工夫している変換
無い(ない)
どちらかといえば、ひらがなが好ましい漢字。
モノや確率が文字通り「無い(Nothing)」場合や否定のニュアンスを強めたい場合に、漢字にしている。
分かる・判る・解る(わかる)
口語ではどれも同じだが、視覚的には3種類もあり、意味も変わってくる。
とりあえず「分かる」を使っておけという風潮を感じる。
個人的には、キャラのセリフで「判別する・できる」シチュエーションなら「判る」、「理解する・できる」シチュエーションなら「解る」にしたい。
ブログのような文章では、読みやすさを重視して「分かる」に統一することもある。
前後の漢字の密度によっては、”ひらがな”にする場合もあります。
正解はない
意味が変わるでもなければ、正しいも間違いもない話になります。
書き手の裁量……知識や価値観に左右されます。
それでも私は、それが読んでもらうための文章であるならば、漢字を開くことを意識し続けるでしょう。
投稿しました。▼ブログ・文章を書くときに意識している「漢字を開く」こと – 内向型人間の知恵ブログ https://t.co/sKpzLTq5kG
— chromitz (@chromitz) 2018年12月26日